歴史・時代

深い疵/ネレ・ノイハウス(創元推理文庫)

ホロコーストという悲劇を生んだナチズムの禍根は、本国ドイツの現代ミステリでも依然主題としての重さを失っていない。新鋭の女性作家ネレ・ノイハウスの『深い疵』は、冒頭アメリカ大統領の顧問まで務めたユダヤ人が射殺され、ナチス親衛隊という彼の知ら…

鷲たちの盟約/アラン・グレン(新潮文庫)

かつてレン・デイトン(『SS-GB』)が、最近ではジョー・ウォルトン(ファージング三部作)が大胆な改変を試みた第二次世界大戦を挟んだ激動の歴史に、さらなる企みをもって挑んだフィクションが登場した。第三十二代アメリカ合衆国大統領のルーズベルト…

三十三本の歯/コリン・コッタリル(ヴィレッジブックス)

CWA賞の最優秀長編部門候補にもなった前作の翻訳紹介から早く四年が経とうとしているが、コリン・コッタリルの『三十三本の歯』はインドシナ半島の東寄りに位置する国ラオスを舞台に、齢七十二を数える老検死官シリ・バイブーンが大活躍するシリーズの待…

サクソンの司教冠/ピーター・トレメイン(創元推理文庫)

すでに歴史ミステリ好きにはおなじみ、アイルランド出身の作家ピーター・トレメインによる〈修道女フィデルマ〉シリーズの『サクソンの司教冠』である。いきなり第五作の『蜘蛛の巣』から紹介が始まったが、シリーズ第二作にあたる本作の翻訳紹介で最初の五…

修道院の第二の殺人/アランナ・ナイト(創元推理文庫)

かのイアン・ランキンも折り紙をつけるというイギリスの女性作家アランナ・ナイトは、四十年以上ものキャリアを誇るベテラン作家だ。この『修道院の第二の殺人』が本邦初紹介となる。 一八七○年のエジンバラ、ひとりの罪人の絞首刑が執行された。その前日、…

パンチョ・ビリャの罠/クレイグ・マクドナルド(集英社文庫)

義賊として、また革命の立役者として、メキシコの民衆の間では、今もその名を伝えられるパンチョ・ビリャ。最後は政敵の凶弾に倒れるが、死の三年後に墓を暴かれ、首を盗まれるという事件が起こった。犯罪小説の新鋭クレイグ・マクドナルドの『パンチョ・ビ…

シャンハイ・ムーン/S・J・ローザン(創元推理文庫)

前作『冬そして夜』でシリーズとしてひとつの頂を極めたS・J・ローザンのリディア・チン&ビル・スミスものだが、その後のシリーズ終焉を匂わせる七年にわたる長い沈黙は、読者を大いにやきもきさせた。その間、作者の胸中に浮かんでは消えたに違いない苦…

エージェント6/トム・ロブ・スミス(新潮文庫)

レオ・デミドフをめぐる三部作のテーマは二つある。その一つは正義の問題だ。忠誠を捧げる自国ソビエト連邦から手ひどい仕打ちを受けた主人公が、善と悪をめぐる国家の欺瞞に気づき、思いを新たに取組んだ迷宮入り寸前の連続殺人を解決へと導いていくのが第…

幻影の書/ポール・オースター(新潮文庫)

新刊ではありませんが、とお断りしたうえで、大好きな作品がやっと文庫に入ったので、紹介させてもらおう。ポール・オースターと映画の世界は切っても切れない関係にあるが、その結びつきの強さでは『幻影の書』という作品が一番だろう。妻子を飛行機事故で…

ピグマリオンの冷笑/ステファニー・ピントフ(ハヤカワ文庫)

エドガー賞の新人賞受賞者のステファニー・ピントフは、早くも第二作の『ピグマリオンの冷笑』が紹介されている。デビュー作の『邪悪』に引き続き、二十世紀初頭のニューヨークを舞台に、刑事のサイモン・ジールとアマチュアの犯罪学者のアリステア・シンク…

溺れる白鳥/ベンジャミン・ブラック(RHブックスプラス)

ミステリという狭い括りの中でばかり本を読んでいると、ミステリといえども小説である、という当り前のことをややもすると忘れてしまう。ベンジャミン・ブラック(ブッカー賞作家ジョン・バンヴィルの別名)の『ダブリンで死んだ娘』は、そんなわたしのよう…

夜の真義を/マイケル・コックス(文藝春秋)

ページをめくりながらこれが本当に二十一世紀に書かれた小説かとわが目を疑いたくなるような一冊である。(原著の発表年は二○○六年)本作とさらに続編をのこし、惜しまれて世を去ったマイケル・コックスのデビュー作『夜の真義を』は、十九世紀のイギリスを…

巨人たちの落日(上・中・下)/ケン・フォレット(ソフトバンク文庫)

第二次世界大戦を舞台にした外套と短剣の物語『針の眼』でデビューしたケン・フォレットも、いまやベテラン作家の仲間入りを果たし、近年では歴史ものの分野にその執筆活動の軸足を移している。本作に先立つ『大聖堂』とその続編では、中世のイングランドを…

黒き水のうねり/アッティカ・ロック(ハヤカワ文庫)

「ブラックパワー」という言葉も、ずいぶんと古めかしい響きになってしまったが、昨年のエドガー賞で新人賞の候補にもあがった女性作家アッティカ・ロックの『黒き水のうねり』では、この言葉が人種差別の撤廃を求め、結集を呼びかける急進派黒人たちのスロ…

邪悪/ステファニー・ピントフ(ハヤカワミステリ文庫)

MWAが出版社のセント・マーティンズと共催した「ミナトーブックス・ミステリコンテスト」で第一席に選出されるや、その勢いでエドガー賞の最優秀新人賞にも輝いてしまったのが、ステファニー・ピントフの『邪悪』だ。一九○五年のニューヨーク近郊のドブソ…

遥かなる未踏峰[上下]/ジェフリー・アーチャー(新潮文庫)

ジェフリー・アーチャーの新作『遥かなる未踏峰(上・下)』である。二十世紀の初頭、北極、南極と並んで人類未踏の極地であった世界の最高峰エヴェレスト。その遥かなる頂きを目指したイギリスの国民的な英雄ジョージ・マロリーの生涯を描く物語である。 実…

猛き海狼/チャールズ・マケイン(新潮文庫)

久しぶりに血湧き肉躍る海洋冒険小説と出会った。チャールズ・マケインの『猛き海狼(上・下)』である。第二次世界大戦下、愛する祖国のために命を賭けて大海原へと乗り出していくドイツ海軍の若き士官が主人公だが、ゲルマンから眺めた英米が描かれるとい…

バッキンガムの光芒(ファージング3)/ジョー・ウォルトン(創元推理文庫)

『英雄たちの朝』、『暗殺のハムレット』と続いたジョー・ウォルトンの歴史改変三部作〈ファージング〉も、いよいよ『バッキンガムの光芒』がラスト。一作ごとに交代するヒロインだが、今回はオクスフォードへの進学が決まっている十八歳の少女エルヴァイラ…

陸軍士官学校の死/ルイス・ベイヤード(創元推理文庫)

ポオの生誕二百年からは一年が過ぎてしまったが、若き日の巨匠が登場する印象的な作品を。惜しくも受賞は逃したものの、CWAのヒストリカル・ダガー賞とMWAの最優秀長篇賞にもノミネートされたルイス・ベイヤードの『陸軍士官学校の死』である。 一八三…

暗殺のハムレット(ファージング2)/ジョー・ウォルトン(創元推理文庫)

ファンタジーの分野から歴史改変テーマをひっさげミステリの世界へ堂々乗り込んできた世界幻想文学大賞作家ジョー・ウォルトンの〈ファージング〉三部作の『英雄たちの朝』に続くパート2は、『暗殺のハムレット』だ。前作のハンプシャー州の古い屋敷からロ…

オスカー・ワイルドとキャンドルライト殺人事件/ジャイルズ・ブランドレス(国書刊行会)

大英帝国の黄金時代にもあたるヴィクトリア朝のロンドンは、時代ミステリにとって恰好の舞台のようで、この春にガイ・リッチー監督の映画『シャーロック・ホームズ』で見た街のくすんだ佇まいとアクの強い熱気がまだ記憶に生々しく残っている。ジャイルズ・…

我らの罪を許したまえ/ロマン・サルドゥ(河出書房新社)

エーコの『薔薇の名前』がわが国に紹介され、歴史ミステリが大きな脚光を浴びたのはすでに二十年前のことだけれど、久し振りにあの名作と肩を並べる作品が登場した。フランスの新星ロマン・サルドゥのデビュー作『我らの罪を許したまえ』である。 十三世紀末…

英雄たちの朝(ファージング1)/ジョー・ウォルトン(創元推理文庫)

世界幻想文学大賞受賞作家ジョー・ウォルトンの『英雄たちの朝』だが、この作品は歴史改変ものの三部作〈ファージング〉のパート1にあたる。第二次大戦で敵方のナチとの間に講和条約を結び、名誉ある和平を享受している終戦から九年がたったイギリスが舞台…

ロスト・シンボル/ダン・ブラウン(角川書店)

ヴァチカンの爆発事件こと「天使と悪魔」、パリの大追跡こと「ダ・ヴィンチ・コード」に続くハーヴァード大学教授で宗教象徴学の専門家ロバート・ラングドンのシリーズ第三作『ロスト・シンボル』がやっと出た。今回は、大西洋をわたってワシントンDCが舞台…

ベルリン・コンスピラシー/マイケル・バー=ゾウハー

お懐かしやマイケル・バー=ゾウハー。途中ノンフィクションはあったが、小説としては実に十五年ぶりの復活となる『ベルリン・コンスピラシー』である。ロンドンから一夜にしてベルリンに連れ去られた老ユダヤ人の実業家プレイヴァマンは、その翌朝、警察に…

古書の来歴/ジェラルディン・ブルックス(ランダムハウス講談社)

読書好きにとって古書というテーマは、まさに猫に鰹節だが、ピュリッツァー賞作家であるジェラルディン・ブルックスの『古書の来歴』は、五百年前にスペインで作られたと伝わるユダヤ教の貴重な写本をめぐる物語である。民族紛争の深い爪あとが残るボスニア…

螺鈿の四季/ロバート・ファン・ヒューリック(ハヤカワ・ミステリ)

戦後間もなく出た「迷路の殺人」を皮切りに、版元や訳者を替わり、形態を変えながら紹介されてきたロバート・ファン・ヒューリックのディー判事ものだが、シリーズに未紹介の虫食いがあるのと、絶版、品切れになるケースが多いので、読者を悩ませてきた。しか…

ブラッド・メリディアン/コーマック・マッカーシー(早川書房)

コーマック・マッカーシーは、言わずと知れた現代アメリカを代表する主流文学系作家のひとりで、『血と暴力の国』や『ザ・ロード』が話題となり、近年わが国読者の間でも急速に注目を集めている。前記の二作のほかにも、九十年代に発表された『すべての美し…

スペード&アーチャー探偵事務所/ジョー・ゴアズ(早川書房)

ハメットが「マルタの鷹」を世に送り出してから今年が八十年目にあたるらしく、それを記念しての出版と謳われて登場したのが、ジョー・ゴアズの『スペード&アーチャー探偵事務所』だ。「マルタの鷹」の前日譚というこの作品、なんでもハメット遺族の公認を…

蝶の夢 乱神館記/水天一色(講談社)

非英語圏のミステリが注目を集める昨今だが、われわれ日本の読者にとってまさに灯台下暗しなのは、東アジアのミステリ事情だろう。そんな近隣諸国にスポットをあてる島田荘司選の〈アジア本格リーグ〉だが、台湾、タイ、韓国ときて第四巻は中国からの登場と…