ファイアーウォール(上・下)/ヘニング・マンケル(創元推理文庫)

スウェーデン南部の港町イースタを舞台に刑事のクルト・ヴァランダーの活躍を描くシリーズも、『ファイアーウォール(上・下)』(創元推理文庫)で数えて八作目。時代に敏感な警察小説として、ヨーロッパ勢の先頭を切るシリーズのひとつだ。今回の主人公は、いつにも増して押し寄せる時代の波に頭を悩ませている。
少女二人組がタクシーの運転手を襲った事件は、若者たちの無軌道な犯行かと思われたが、やがて銀行のATMの前で起きたITコンサルの変死事件と奇妙な繋がりを見せ始める。本作に描かれるネット社会の陥穽に慄然とするのは、主人公ばかりではない。さらに世界経済の綻びというテーマを突きつけられる読者の胸からは、ペシミスティックな余韻が読後も去らないのである。
[波2012年12月号]

ファイアーウォール 上 (創元推理文庫)

ファイアーウォール 上 (創元推理文庫)

ファイアーウォール 下 (創元推理文庫)

ファイアーウォール 下 (創元推理文庫)

そして友よ、静かに死ね/オリヴィエ・マルシャル監督(2011・仏)


フィルム・ノワールの末裔ともいうべき〈あるいは裏切りという名の犬〉を撮ったオリヴィエ・マルシャル監督の新作〈そして友よ、静かに死ね〉は、七十年代の初頭、フランスで民衆からもモモンの愛称で親しまれた実在のギャング、エドモン・ヴィダルの物語である。自費出版されたという自叙伝をもとに、モモン役を名優ジェラール・ランヴァンが演じ、すでに還暦を迎え静かな日々を送るモモンのもとに、かつての相棒セルジュ(チェッキー・カリョ)が逮捕されたという知らせが届くところから物語りは始まる。
少年時代にめぐり合い、一緒に数々の悪事に手を染めてきた親友をどうしても見殺しにできないモモンは、昔の仲間たちの手を借り、獄中のセルジュに救いの手を差し伸べようとする。しかし、彼はかつての仲間にはどうしても言えない秘密を胸に秘めていた――。ややアナクロにも映る現在と過去を行き来する手法は、クラシックなギャング映画へ回帰しているかのようだ。男たちの友情と裏切りの物語という手垢のついたパターンをなぞるあたりも同様で、共同で脚本も手がけているオリヴィエ・マルシャル監督の確信犯的な狙いを見て取ることができる。フィルム・ノワールの世界にも通じる本作の佇まいと風格は、そんなオマージュと徹底したこだわりの産物だろう。 
日本推理作家協会報2012年10月号]
》》》公式ページ

盗聴犯〜狙われたブローカー〜/アラン・マック&フェリックス・チョン監督(香・2011)

映画祭ではなぜか先に公開されたが、〈盗聴犯〜狙われたブローカー〜〉(2011)は、二年後に製作された同じ監督・脚本チームによる先の〈死のインサイダー取引〉(2009)の続編である。といっても、盗聴という手段が作中で重要な役割を果たすのと、主要な出演者が再び顔を揃えている点を除けば、両作品の間に具体的な物語の繋がりはない。やり手の株トレーダー、ラウ・チンワンは、ある時尾行を撒こうとして自動車事故を起こしてしまう。駆けつけた香港警察のルイス・クーは壊れた車から盗聴器を発見するが、本人は心当たりがないという。捜査を進めるうちに、刑事はトレーダーをつけまわす謎の元軍人ダニエル・ウーの存在に気づくが。
はたと膝を打ちたくなるのは、作中にくり返し引用される〈サムライ〉の映像である。監督・脚本のコンビは、ノワール映画の師としてメルヴィルに深いリスペクトを捧げていると思しい。前作に負けず劣らず、観る者をあっといわせるツイストが用意されているが、二作に共通する命をかけても家族を守ろうとする男たちの姿が心にしみる。
日本推理作家協会報2012年10月号]

盗聴犯〜死のインサイダー取引〜/アラン・マック&フェリックス・チョン監督(香・2009)


一九九七年に中国に返還された香港が、映画の世界で今なお香港映画の看板を掲げていられるのは、社会主義の中国が特別行政区として香港の資本主義活動を例外的に認めているからで、変わらぬ作品の質の高さで、東洋のハリウッドとしての伝統と命脈を保っている。ここのところ、きな臭さと胡散臭さでイライラさせられることの多い日中関係だが、そんなの何処吹く風と、この夏も〈夏の香港傑作映画祭〉と〈ニュー香港ノワール・フェス〉の二つの特集上映が都内の映画館で催された。
そこでの上映作のひとつ〈盗聴犯〜死のインサイダー取引〜〉は、日本でも大ヒットした〈インファナル・アフェア〉三部作の監督・脚本チームに名を連ねたアラン・マックフェリックス・チョンの作品だ。株のインサイダー取引をめぐり、容疑者を看視する香港警察の捜査チームに加わった情報課のラウ・チンワンら三人の捜査官は、ある時、値上がり株の極秘情報をたまたま知ってしまう。難病の子を抱えるルイス・クーと彼に同情するダニエル・ウーのふたりが、件の株に手を出そうとするのをラウ・チンワンは止めようとするが、タッチの差で取引は成立。株はみるみる値を上げていくが、思いもかけない陥穽が彼らを待ち受けていた。
警察の科学的な組織捜査を追う序盤から、やがて金の誘惑に負けた男たちがたどっていく運命に焦点を合わせたノワールの世界へと物語は静かに移行していく。その過程で活きてくるのは、三人の捜査官たちの私生活の模様を描いてきた前半で、それぞれが抱える思うにまかせない事情が、数奇な運命の歯車となって回りはじめる。壮絶な復讐劇として昇華されるあまりにも濃厚なクライマックスは、過剰なまでのロマンチシズムに眩暈をおぼえるほどと言っていいだろう。
日本推理作家協会報2012年10月号]

償いの報酬/ローレンス・ブロック(二見文庫)

ローレンス・ブロックが30年という長きにわたり発表してきたマット・スカダーものも、前作『すべては死にゆく』でついに幕が降ろされたと思っていたファンは多いだろう。しかし、作者は思いもかけなかった形でシリーズの新作を六年ぶりに届けてくれた。
その『償いの報酬』は、まずその時代背景に驚かされる。時系列では『八百万の死にざま』から一年後にあたり、そこにはAA(アルコール依存を克服するための集り)に通い、アル中の克服に取り組む主人公が登場し、禁酒プログラムを実践していた昔のなじみが殺された事件を非公式に調べることに。過去の人生を振り返る主人公の姿をノスタルジックに描くシリーズ番外編である。
[2012年10月号]

償いの報酬 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)

償いの報酬 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)

滅亡の暗号/ダスティン・トマソン(新潮文庫)

二○一二年人類滅亡説をご存じだろうか? 中央アメリカに古代から栄えたマヤ文明の長期暦は本年十二月までしかないことから、それを世界の終わりと解釈する考え方で、ノストラダムスの予言にあった一九九九年の恐怖の大王とともに、世界終末論のひとつとして喧伝されてきたものだ。ダスティン・トマスンの『滅亡の暗号(上・下)』(新潮文庫)は、その説に材をとっている。
と書くと、さてはトンデモ本か、と早合点されそうだが、さにあらず。作者は名作『フランチェスコの暗号』の合作チームの片割れで、先のコンビ解消後八年をかけて本作を上梓した。ロサンジェルスに突如発生した致死性のプリオン病をめぐり、そのパンデミックを食い止めるために命がけで奔走する医師と言語学者の男女二人の活躍を描いていく。医学サスペンス+暗号もの、そして最後は秘境小説の要素までもが加わる盛り沢山のエンタテインメント作である。
[波2012年10月号]

滅亡の暗号〈上〉 (新潮文庫)

滅亡の暗号〈上〉 (新潮文庫)

滅亡の暗号〈下〉 (新潮文庫)

滅亡の暗号〈下〉 (新潮文庫)

月に歪む夜/ダイアン・ジェーンズ(創元推理文庫)

かつて女一人に男二人の組み合わせを指してドリカム状態という言葉が流行ったが、英国から登場の新鋭、女性作家ダイアン・ジェーンズの『月に歪む夜』は、そんな三人組にひとりの女性が加わったことから、微妙な均衡状態にひびが入っていく。ヒロインは新参の少女に、嫉妬と賞賛の入り混じった複雑な思いをつのらせていくが。
往年のルース・レンデルを彷彿とさせる心理描写もあるが、複雑に絡まる人間関係の綾が思いもかけない方向へと向かう様を、ヒロインの視点からいきいきと描いている。現在と過去の時制を並行させ、その両者を結びつけるミステリ的な手法も実を結んでおり、十分に合格点のやれる新人のデビュー作だろう。
[波2012年10月号]

月に歪む夜 (創元推理文庫)

月に歪む夜 (創元推理文庫)