カルロス/オリヴィエ・アサイヤス監督(2010・仏)


そもそもはTVの企画からスタートしたオリヴィエ・アサイヤス監督の『カルロス』は、三部作の合計が五時間半という『旅芸人の記録』も可愛く思える長尺でありながら、体感時間はさほどではない。日本赤軍によるフランス大使館占拠事件(ハーグ・1974年)への加担に幕を開け、希代のテロリストとして絶頂期であり、物語の分水嶺でもあるOPEC石油相会議襲撃事件(ウィーン・1975年)の顛末、さらには当局に身柄を確保される(スーダン・1994年)までの一時代を、一気に駆け抜けるように描いていく演出の手柄だろうか。
ミステリ・ファンならフォーサイスの『ジャッカルの日』やラドラムの『暗殺者』の主人公を連想する神格化されたテロリストを、ベネズエラ出身のエドガー・ラミレスが、自己顕示欲たっぷりの、女にだらしない人物として演じてみせる。大胆不敵な作戦が面白いくらいに成功していく上り坂の時期と、疫病神にとり憑かれたかのように凋落していく過程の対比が面白いが、時に主人公以上にアクの強さをみせるパレスチナ解放人民戦線のリーダーを演じるアッマード・カーブルやドイツのテロ組織に属する無鉄砲な女テロリストのジュリア・フンマー、最初の妻となるマグダレーナ・コップら個性派脇役たちの存在感も印象に残る。
日本推理作家協会報2012年10月号]
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暴力の教義/ボストン・テラン(新潮文庫)

凄絶なる復讐物語『神は銃弾』を引っさげてのボストン・テランのデビューは衝撃的だった。暴力を描くのではなく、作品が暴力そのものだったからだ。しかし、バイオレンスへの徹底したこだわりに変化の兆しが見てとれたのが、障害を負うヒロインの成長を主題にした前作だった。そして、クリスチャン・ベール主演で映画化とも伝えられる最新作『暴力の教義』(新潮文庫)では、またも新たな一面を覗かせてくれる。
時は一九一○年、革命前夜のメキシコが舞台。この機に乗じひと儲けを企む犯罪者のローボーンは、武器満載のトラックを強奪するも失敗、隣国情勢を内偵する合衆国捜査局の囮にされてしまう。免責特権と引換えに若き捜査官を乗せトラックで国境を越えるが、実は同乗のルルドは幼い頃に生き別れた息子だった。
父と子の物語は数多あるが、作者は自身にしかなしえない方法で父子の絆を描いてみせる。初期の暴力衝動に満ちた文体はそのままに、血と硝煙が渦巻く中、愛憎相半ばする親子の葛藤のドラマが鮮やかに浮かび上がってくる。ノワール文学の新たな地平を切り開いた、テランの意欲作である。
[波2012年9月号]

暴力の教義 (新潮文庫)

暴力の教義 (新潮文庫)

彼の個人的な運命/フレッド・ヴァルガス(創元推理文庫)

英語圏のミステリ作家たちが脚光を浴びているが、忘れてはならない国がフランスだろう。英米を横目に、独自のミステリ観から名作の数々を生んできたこの国で、今シーンの先頭を走っているのが女性作家のフレッド・ヴァルガスである。三度にわたるCWA(英国推理作家協会)賞授賞のお墨付きは伊達じゃない。
最新刊の『彼の個人的な運命』(創元推理文庫)は、ヴァイオリン弾きの青年に容疑がかけられた連続殺人事件をめぐり、おなじみ元内務省調査員のケルヴェレールと三人の歴史学者たちが真相究明に奔走する。セイヤーズが現代のパリに蘇ったらこんな作品を書くに違いないと思わせる謎解きには、英国が恋した作家ヴァルガスならではのコクと旨味がある。
[波2012年9月号]

彼の個人的な運命 (創元推理文庫)

彼の個人的な運命 (創元推理文庫)

籠の中の乙女/ヨルゴス・ランティモス監督(2009・希)


ギリシャ映画といえば、故テオ・アンゲロプロス監督の『旅芸人の記録』(1975)が、真っ先に思い浮かぶ。約四時間にわたり猛烈な睡魔と悪戦苦闘した二十年以上も前の苦い記憶とともに。それ以来、かの国の映画と聞く度に、アンゲロプロスの眠気を誘う(失礼)長まわしが頭を過ぎり、警戒心が先に立つことも多かったが、久しぶりに気になる作品と遭遇した。昨年のアカデミー賞外国語映画賞部門にドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『灼熱の魂』と共にノミネートされた(惜しくも受賞は逃したが)ヨルゴス・ランティモス監督の『籠の中の乙女』である。
興味を惹かれたきっかけは、ちらしにもなっている姉妹のスチル写真が、キューブリックの『シャイニング』で繰り返し登場する双子の少女の姿と見事にシンクロしたからだが、さもありなん、作中では『フラッシュダンス』、『ジョーズ』、『ロッキー』などへのオマージュが思いもかけない形で飛び出し、七十〜八十年代のハリウッド映画ファンの稚気を大いにくすぐってくれる。しかし、本作はパロディでもなければ、単なる映画賛歌でもない。観る者に家族のあり方を問いかける、狂気のホームドラマなのである。
工場を経営するクリストス・ステルギオグルは、高い塀に囲まれた郊外の豪邸で妻子四人を養う一家の家長だ。何不自由ない裕福な暮らしを送る彼らだったが、すでに大人の年齢に達した三人の子どもたちには、奇妙で厳格なルールが課せられていた。ある時、長男のために父親が一人の女性を連れてきたことから、家族の関係は大きく揺るぎ始める。瀟洒な映像美の中に描かれる毒は、何くわぬ顔してラストで観客を突き放す冷たさとともに、オーストリアの奇才ミヒャエル・ハネケを思わせる。時に暴力の暴発もあるが、歪な家族関係を善意の産物として静謐に描いているところに、不条理と紙一重の不思議な説得力を感じた。ハネケの『ファニーゲーム』のように、ハリウッドでリメイクしてみるのも、面白いと思う。
日本推理作家協会報2012年10月号]
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依頼人/ソン・ヨンソン監督(2011・韓)


韓流ミステリ映画の面白さには毎度舌を巻くばかりだが、『セブンデイズ』、『哀しき獣』、『カエル少年失踪殺人事件』といった近年の収穫ともいうべき作品に出演していた男優たちが一堂に集う『依頼人』もその例に洩れない。結婚記念日の晩、花束を手に仕事から帰宅したチャン・ヒョクは、待ち構えていた警察に妻殺しの容疑で逮捕される。寝室には大量の血が流れていたが、しかし死体は見つからない。その後もこれといった物的証拠がないまま起訴された依頼人を、抜群の勝率を誇る凄腕の弁護士のハ・ジョンウが弁護することになった。対するエリート検事のパク・ヒスンは、容疑者が過去にも殺人に手を染めていることを確信し、公判の準備を進めるが。
監督は、新人のソン・ヨンソンだが、周到なプロットをケレン味と判り易さのバランスをとりながら手際よく料理することに成功している。韓国においても、刑事裁判における市民参加(裁判員制度)が進んでいることがこの映画からも判るが、ソン・ドンイルが演じる弁護士に事件を斡旋したり、証拠収集のために探偵の真似事までするが、そんなビジネスが現実にあるものだとすると興味深い。最終弁論のシーンは、短いながらも切れ味が鋭く、そのギミックがクライマックスの反転を巧みに盛り上げている。
日本推理作家協会報2011年8月号]
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The 500/マシュー・クワーク(ハヤカワ・ミステリ)

草の頂き、袋の中の豚、ヴァイオリン・ゲーム。耳慣れないこれらの言葉も、「ほら、映画でもあったでしょ、〈スパニッシュ・プリズナー〉ってのが」というヒントを出せば、ピンとくる読者は多かろう。そう、すべては詐欺の名前。その手口を知りたくば、今月一番のお奨め、マシュー・クワークのデビュー作『The 500』をお読みいただきたい。
詐欺師の父親は服役中、せっかく通ったロー・スクールも、母親の治療費のために借金がかさんでピンチと、捨て鉢の気分でいた主人公マイクに、カリスマ・ロビイスト率いる会社が、破格の条件で働かないかと話を持ちかけてきた。怪訝な思いにかられながらも、経営陣の前で難しい案件を処理してみせたマイクは、見事シニア・アソシエイトに仲間入り。かつての上役で憧れの同僚アニーとも恋仲になり、順風満帆の人生を歩み始めた。しかし好事魔多し。セルビアの富豪が持ち込んだ案件が、彼を思わぬ窮地へ追いやることに。
立法を裏から促す専門家として、近年は日本の政界でも注目を浴びるようになったロビイストだが、そのメッカともいうべきワシントンDCを舞台にした密度の高い犯罪小説である。青二才ながら、父親譲りの才能で悪の道にも通じたマイクは、生き馬の目を抜く海千山千のプロフェッショナルを相手に、知力を駆使しての闘いを挑んでいく。主人公の特技から、同じポケミスで出たエドガー賞を受賞した『解錠師』と比較したくなるが、先の読めない展開に胸躍る前半のスリルといい、終盤俄かに濃やかになり、心にしみてくる父と子の絆の物語といい、軍配をあげるなら本作だろう。
[ミステリマガジン2012年11月号]

The 500 (ザ・ファイヴ・ハンドレッド) 〔ハヤカワ・ミステリ1861〕 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

The 500 (ザ・ファイヴ・ハンドレッド) 〔ハヤカワ・ミステリ1861〕 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

この声が届く先/S・J・ローザン(創元推理文庫)

同じシリーズでも、一作ごとに作風を描き分ける多彩さは、すでに短編集でもおなじみのS・J・ローザンだが、今度の『この声が届く先』には驚かされた。このシリーズでは探偵コンビが一作ごとに主役(語り手)を交替するが、今回は、何者かによって誘拐された相棒のリディアを無事取り戻すために奔走するビルの物語である。
イムリミットは12時間。犯人からのヒントを解きながら、ビルはリディアの居場所に迫っていく。ITに強い血縁のライナスとその女友達や、強面な売春組織の面々など脇役陣も大活躍。ディーヴァーに追いつけ、追い越せの意気込みが伝わるノンストップ・サスペンスだ。
[波2012年9月号]

この声が届く先 (創元推理文庫)

この声が届く先 (創元推理文庫)