籠の中の乙女/ヨルゴス・ランティモス監督(2009・希)


ギリシャ映画といえば、故テオ・アンゲロプロス監督の『旅芸人の記録』(1975)が、真っ先に思い浮かぶ。約四時間にわたり猛烈な睡魔と悪戦苦闘した二十年以上も前の苦い記憶とともに。それ以来、かの国の映画と聞く度に、アンゲロプロスの眠気を誘う(失礼)長まわしが頭を過ぎり、警戒心が先に立つことも多かったが、久しぶりに気になる作品と遭遇した。昨年のアカデミー賞外国語映画賞部門にドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『灼熱の魂』と共にノミネートされた(惜しくも受賞は逃したが)ヨルゴス・ランティモス監督の『籠の中の乙女』である。
興味を惹かれたきっかけは、ちらしにもなっている姉妹のスチル写真が、キューブリックの『シャイニング』で繰り返し登場する双子の少女の姿と見事にシンクロしたからだが、さもありなん、作中では『フラッシュダンス』、『ジョーズ』、『ロッキー』などへのオマージュが思いもかけない形で飛び出し、七十〜八十年代のハリウッド映画ファンの稚気を大いにくすぐってくれる。しかし、本作はパロディでもなければ、単なる映画賛歌でもない。観る者に家族のあり方を問いかける、狂気のホームドラマなのである。
工場を経営するクリストス・ステルギオグルは、高い塀に囲まれた郊外の豪邸で妻子四人を養う一家の家長だ。何不自由ない裕福な暮らしを送る彼らだったが、すでに大人の年齢に達した三人の子どもたちには、奇妙で厳格なルールが課せられていた。ある時、長男のために父親が一人の女性を連れてきたことから、家族の関係は大きく揺るぎ始める。瀟洒な映像美の中に描かれる毒は、何くわぬ顔してラストで観客を突き放す冷たさとともに、オーストリアの奇才ミヒャエル・ハネケを思わせる。時に暴力の暴発もあるが、歪な家族関係を善意の産物として静謐に描いているところに、不条理と紙一重の不思議な説得力を感じた。ハネケの『ファニーゲーム』のように、ハリウッドでリメイクしてみるのも、面白いと思う。
日本推理作家協会報2012年10月号]
》》》公式サイト