悪魔パズル/パトリック・クェンティン(論創社)

翻訳紹介されない作品にはそれなりの理由があるものだ、とも言われるけれど、ことパトリック・クェンティンに関しては当て嵌まらない。五年前に『悪女パズル』、三年前には『グリンドルの悪夢』と、実にのんびりしたペースではあるが優れた作品の紹介が進むにつれて、まだまだ埋もれた傑作があるのでは、という期待がつのってくる。ピーターとアイリスの夫婦探偵が活躍するシリーズでミッシングリンクのひとつだった『悪魔パズル』も、そんなクラシック・ファンを裏切らない。
日本へと旅立つ妻のアイリスを空港で見送った帰り道、車を運転中に途絶えた記憶。まったく覚えのない部屋で目覚めたピーターは、ベッドに横たわる自分が誰であるかを思い出せなかった。次々と現われては彼を見舞う母親、妹、そして妻を名乗る見知らぬ女たちは、彼をゴーディという知らない名で呼んだ。やがて、ゴーディというのは金持ちの息子で、父親は一ヶ月前に亡くなっていることが判ってくる。どこからか現われた老婆から、おまえはゴーディではないと告げられ、何かの陰謀が企まれていることを薄々と察するピーターだったが。
その昔、「パパイラスの舟」でも紹介されたことのあるパズル・シリーズの五作目にして番外編。探偵役が、事件の真相とともに自らのアイデンティティーを探すという趣向が独創性に富んでいる。主人公が五里霧中におかれるシチュエーションはジョン・フランクリン・バーディンの尖った作風を思わせたりもするが、中盤以降の陰謀を暴いていくオーソドックスな展開も緊張感があってテンポよく読ませる。本作は、シリーズを通読してみたい気持ちに火をつける見事な一撃だ。
[ミステリマガジン2010年7月号]

悪魔パズル (論創海外ミステリ)

悪魔パズル (論創海外ミステリ)