鉤/ドナルド・E・ウェストレイク(文春文庫)

ミステリの分野で剽窃というテーマ自体は、さほど珍しくない。だから、ドナルド・E・ウェストレイクがこのテーマに挑んだと聞いたときは、逆にちょっとした興味がわいてきた。そんなありふれたテーマを、ミステリの酸いも甘いも知るウェストレイクが、どう料理するのだろうか。わたしと同じような好奇心を抱いた読者の期待は、本作『鉤』で、見事満たされるに違いない。
売れっこ作家のブライス・プロクターは、底なしのスランプに喘いでいた。ここ数年、新作を出していないばかりか、ロクな小説のアイデアも浮かばない。そんな彼に、不意にチャンスが訪れる。旧来の友人のウェインと町でばったり出会ったのだ。ウェインは作家稼業の同業者で、不運にも買い手のつかない小説原稿を抱えていたのだ。ブライスはさっそくウェインに申し出を行う。彼の作品を、自分の名義で出版させてくれるなら、契約金の半額を提供する、と。そして、ウェインにとんでもない付帯条件を突きつけた。
犯罪小説としての展開の妙味がこの小説の売りである。条件を呑んだウェインが、依頼を受けた犯罪に手を染める過程のスリリングな展開、そして次第に正気の縁から足を踏み外していくブライスの精神状態のリアルな描写。どこをとっても、ありきたりの犯罪小説を越える面白さと読み応えである。その場面のひとつひとつがシャープで、現在のウェストレイクの自信に満ち満ちている。予想を許さない幕切れの緊張感を含めて、文句なしの傑作である。
[本の雑誌2003年8月号]

鉤 (文春文庫)

鉤 (文春文庫)