沙蘭の迷路/ロバート・ファン・ヒューリック(ハヤカワ・ミステリ)

処女作にはその作家のすべてがあるなんて言うけど、それはこういう作品があるからだろう。ロバート・ファン・ヒューリックの『沙蘭の迷路』、ご存知唐代の中国を舞台にしたディー判事シリーズの第一作にあたる。「迷路の殺人」ほかの旧訳旧題でお馴染みだが、その待望の新訳版である。
蒲陽を出発したディー判事らは、新しい赴任地蘭坊を目前に、武装した賊からの襲撃を受ける。一行は苦もなく敵を退けるが、捕えた者たちの訴えから、向かう先の県が荒廃の極みにあることを知る。果たして、蘭坊は地元豪族のなすがままの状態で、賄賂を受け取っていた前任者も、すでに姿を消していた。判事はさっそく策を講じて、無法者らを懲らしめるが、町が平安を取り戻したのも束の間、政庁にて公判を再開するや、未解決の事件がいくつも浮上してくる。退役した将軍は密室状況の中で殺され、元都督(長官)の遺産相続をめぐって争いが起き、巡査長の娘は行方不明になっていた。判事の陣頭指揮で捜査が行われ、やがて事件の繫がりが朧げに見えてくるが。
孔子思想と正義感に貫かれた主人公ディー判事の溌剌とした存在感をはじめ、いくつもの事件が並行して進行していくモジュラー型の面白さや、洪亮や馬栄ら判事を支える名脇役たちの活躍など、このシリーズのセールスポイントは、この第一作の時点でほぼ確立されている。ミステリとしての冴えや印象的なエピソードという点では、後年の作品にも劣らぬものがあるが、物語の要となっている元都督の作った迷路が絡む展開はデビュー作らしい意気込みも感じられて、読み応え十分。シリーズの新訳も残すところあと三冊、完結が待ち遠しい。
[ミステリマガジン2009年7月号]

沙蘭の迷路 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1823)

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