ユダヤ警官同盟/マイケル・シェイボン(新潮文庫)

歴史改変というテーマがある。SFでいうパラレルワールドもののひとつで、ある歴史上の分岐点を境に、そこから史実とは異なる経過をたどっていくイフの世界の物語を指してそう呼ぶわけだが、なぜかその起点となる分け目を二次世界大戦に求める例が多い。日本がアメリカに勝利した世界のその後を描くP・K・ディックの「高い城の男」や、英独の間で停戦が成立するクリストファー・プリーストの「双生児」、また敗戦によりドイツの占領下となったイギリスが舞台となるレン・デイトンの「SS―GB」と、名だたる傑作が軒を並べるが、そこに新たな名作が加わった。今月ご紹介するマイケル・シェイボンの『ユダヤ警官同盟(上・下)』である。
この作品で描かれるのは、大戦のさ中、ナチスの弾圧で欧州を追われたユダヤ人たちが、時のアメリカ政府の受け入れ施策によってアラスカの一部に設けられた暫定的な居留地で暮らすことになったという、もしかしたらありえたかもしれないもうひとつの世界である。しかし、そのシトカ特別区も創設から六十年あまりが過ぎ、アメリカ本土への返還が二ヵ月後に迫っている。三百万人を越える流浪の民たちは、離散を余儀なくされるという状況に立たされているが、そんな折、うらぶれたホテルの一室で、ヘロイン中毒のみすぼらしい男が頭を撃ちぬかれた死体で発見される。
彼が横たわるベッドの枕元には、ゲーム途中と思われる安っぽいチェス盤が残されていた。間もなく被害者のメンデルは地域を牛耳るユダヤ教犯罪組織のボスの跡継ぎだったが、ずいぶんと前に勘当同然で生家を飛び出していたことが判明。しかも、子どもの頃から数々の奇跡を起こし、ユダヤの信徒たちの間では神がかりと囁かれる存在であったという過去が明らかになる。そんな人物が、侘しい境遇に陥り、悲惨な最期を迎えねばならなかった理由とはいったい何だったのか?
ピュリッツァ賞の受賞歴もある作者のマイケル・シェイボンは、性や人種を主題に社会派の論客としても知られる。そのシェイボンが、ユダヤ人問題という人類永遠のテーマのひとつに挑んだのが本作『ユダヤ警官同盟』だ。
ユダヤの救世主伝説が絡んでくるトンデモな展開に、ギョッとされる向きもあるだろうし、海の向こうの名だたるSF賞を総なめという大掛かりな鳴り物に、距離感をおぼえるミステリ・ファンもいるだろう。しかしそんな疑念も、いったんページをめくり始めれば、たちまちのうちに霧散するに違いない。テーマを浮き彫りにしていくシェイボン独特の語り口こそ主流文学のシリアスさがあるが、それを取り巻くかのように警察小説、ハードボイルド、謀略ものの要素が次々と浮上してくる。サスペンスフルな展開や最後に待ち受ける謎ときなど、まさにエンタテインメントとしても粋を集めた仕上がりといっていいだろう。
しかし、なんといっても読者の胸をうつのは、事件の捜査へと深入りしていく主人公ランツマン警部の姿だ。息子を失い、それが原因で妻と離別。死んだ父親との関係にも心残りを引き摺る主人公は、事件の捜査をきっかけに、アルコール浸りの日々から一歩踏み出し、従兄弟で相棒のベルコの助けを得ながら、無我夢中に事件の真相へと迫っていく。
二ヵ月後には居留地がなくなり、失職するかもしれないという危機に晒されながら、やがて事件がパイロットだった妹の死とも繋がりがあったことを主人公はつきとめる。このスリリングな展開の中、主人公はクライマックスに向けて警察官、そして夫としての自信を取り戻していく。本作が、昨年の「チャイルド44」と同様、年末のベストテンで上位を争うことは間違いのないところだろう。
[波2009年5月号]

ユダヤ警官同盟〈上〉 (新潮文庫)

ユダヤ警官同盟〈上〉 (新潮文庫)

ユダヤ警官同盟〈下〉 (新潮文庫)

ユダヤ警官同盟〈下〉 (新潮文庫)