失われた男/ジム・トンプスン(扶桑社海外文庫)

ジム・トンプスンの「死ぬほどいい女」は、「内なる殺人者」(「おれの中の殺し屋」)とは別の意味でトンプスンという作家の代表作だと思っているが、『失われた男』もそれと同年の一九五四年に上梓されている。
主人公のブラウニーは、アルコールに溺れる日々を送りながらも、コラムニストとして鳴らし、詩作の才能にも恵まれていた。勤め先の新聞社では、そんな彼を煙たがる者がいる一方で、有能な人材として見込まれている。悩みの種は、別居中の妻エレインの存在だ。ある嵐の晩、ブラウニーは町を訪れていた妻を殺害する。その事件をきっかけに、彼は目の前に現れる邪魔者たちを、暴力衝動の赴くままに手にかけていく。
主人公の尊大さや自暴自棄に支配された手記という形をとる本作は、アルコールによる幻覚もあるのだろうか、イントロから壊れた小説の雰囲気がたちこめている。その点「死ぬほどいい女」を連想させるが、妙な違和感を残しつつも、その後は屈折感のある犯罪小説として物語が展開されていく。これまで読んだトンプソンの中では、もっともミステリ色強い仕上がりだが、そんな仕掛けすらも人間の心のダークサイドの象徴と感じさせてしまうあたり、さすがはノワールの手練トンプソンだ。
ミステリ・マガジン2006年9月号]

失われた男 (扶桑社ミステリー)

失われた男 (扶桑社ミステリー)