敵手/ディック・フランシス(ハヤカワ文庫)

「再起」以降は、実質息子フェリックスの作であることは公然の秘密だとして、生涯のパートナーであり、創作にも手を貸していたといわれるメアリー(2000年に死去)がどの作品に協力していたかは明かされていない。ともあれ、1997年に出たこの「敵手」は、フランシス最後の輝きが見てとれるような気がするが、どうなのだろう。そんな重要作がシッド・ハレーの再々登場作というのも、ファンとしては運命のようなものを感じずにはおれない。
『敵手』は、なんと「大穴」、「利腕」に続いて、あのシッド・ハレーが三たび読者の前に姿を現わす。作家としてのキャリアを辿ると、フランシスはその節目節目の作品で、騎乗中の事故で片腕がつかえなくなり、競馬界専門の調査員となった元チャンピオン・ジョッキイのシッド・ハレーを登場させている。とりわけ、大西洋を挾んでMWAとCWAのダブルクラウンに輝いた「利腕」は、いつまでも輝きを失わない充実ぶりを読者に印象づけた。それから十六年(いやはや、もうそんなに経つのか!)、われらがハレーは将来有望な子馬ばかりを狙って、足を関筋から切断するという残忍な連続犯罪に挑む。
その『敵手』で際立っているのは、やはりハレーの妥協を許さない生き方である。長年信じてきた友を糾弾せねばならないという窮地に立たされた主人公は、自分の信じる生き方を曲げないがために、周囲から次第に孤立していく。しかし、想像を絶する孤独感に苦しみながらも、ハレーは決して屈しない。マスコミはもとより、古い友人たちからも辛い扱いを受け、心に重いプレッシャーを感じながらも、自らの生き方を貫き通すのだ。そんなハレーの跨り高き姿からは、フランシスの冒険作家としての気骨がひしひしと伝わってくる。
一方、そんな中にあって、束の間、心の安らぎを感じずにはおれないのが、期せずして訪れる別れた妻との和解の場面である。長年のわだかまりがとける一瞬に流れる二人の心の機微は、実にさりげなく、しかし凡百の恋愛小説が及ばない濃やかさがあって、胸にジーンと染みわたる。ハレーの再々登場というだけでファンの注目を集めるには十分だろうが、近年のフランシス作品の中でも屈指の傑作であることを敢えて強調しておきたい。
本の雑誌1997年1月号]

敵手 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

敵手 (ハヤカワ・ミステリ文庫)