生、なお恐るべし/アーバン・ウェイト(新潮文庫)

アメリカ北西部のシアトルから新たな才能が登場した。その名をアーバン・ウェイト。まずは、彼のデビュー作『生、なお恐るべし』の内容をちらりと紹介してみたい。
カナダとの国境に近いワシントン州の森林地帯。前科のある運び屋ハントは、新米の若造とともにヘロインの受け渡し地点へと馬を走らせていた。しかし、折悪しく通りかかった保安官補のドレイクに目撃されたことから、取り引きはあえなく失敗。ハントはなんとか逃れたものの、若造は連行されてしまう。
翌日、留置場で若造が何者かに殺され、自分も厄介な立場に立たされていることを悟ったハントは、逃げようという妻の説得を押し切り、失敗を取り返すために新しい仕事を引き受ける。しかし、それは罠だった。取引相手からは大量のヘロインを体内に呑まされたベトナム人の女性を押しつけられ、雇った側からは銃弾を雨あられと浴びせられてしまう。
と、ここまで文庫本にして約160ページ。巻を措く能わずとはまさにこのことで、あのスティーヴン・キングが本作に寄せたという『どえらい小説だ。弛緩というものをまったく知らない。』という惹句も、なるほどと納得。麻薬受け渡しの思いもかけない失敗から、主人公のハントは逃亡生活を余儀なくされていくわけだが、カメラワークにたとえるならば、登場人物ひとりひとりへのズームと、小気味いい場面転換を繰り返しながら、軽快な犯罪小説のノリの良さで、現代の罪と罰の物語が繰り広げられていく。
また、主人公をつけ狙う殺し屋で、調理師の異名をとるグレイディというナイフ使いの強烈な存在感も、読者をひきつけずにはおかない。お手本として、映画にもなったコーマック・マッカーシーの『血と暴力の国』(映画は「ノーカントリー」)を挙げるあたりに、作者の確信犯ぶりが窺えるが、グレイディが見せる狂乱ぶりは、物語を動かす原動力として大きな力を発揮していく。
このように、クライム・ノベルやサイコロジカル・スリラーとして読み応えは半端じゃないが、ジャンル小説として捉えるだけでは、実はこの『生、なお恐るべし』の魅力のすべてを語ったことにはならない。例えば主人公のハントには馬の調教という正業もあって、運び屋というヤクザな副業にも、譲れない拘りをもった人物として描かれる。妻への愛情も深く、かつての刑務所仲間との友情も決して疎かにしない。そんな主人公の愛すべき人間性を、作者はきな臭い物語のまにまに、さりげなく浮かび上がらせていくのだ。
一方、ハントを追う立場の保安官補ドレイクには、麻薬取引に手を染め今も服役中の元保安官の父がいて、実はハントらと遭遇した日も、父親をめぐるモヤモヤした気持ちを晴らすために森林地帯を彷徨っていたことが明らかになっていく。そんなドレイクの思いは、やがてハントの思惑と繋がり、ふたりの行く道はクライマックスで再び鮮やかな交錯をみせる。
犯罪、サスペンス、暴力、夫婦愛、友情、親子の絆、どれをとっても一級品。トム・フランクリンやグレアム・グリーンといった先達の作品に学び、ジェイムズ・エルロイのエージェントに見出された俊英の恐るべきデビュー作を、くれぐれも読み逃しなきよう。
[波2011年8月号]

生、なお恐るべし (新潮文庫)

生、なお恐るべし (新潮文庫)