シャッター・アイランド/デニス・ルヘイン(ハヤカワ文庫)

結末が気になる!と読者に思わせることは、まさにミステリという文学形式の本懐だと思うけれども、誰が始めたのかは知らないが、結末の部分を封じた形で書店に並べるという袋とじの趣向*1は、ミステリ・ファンの稚気をくすぐる上手い商売の方法だと思う。しかし、過去に思いを巡らしてみると、バリンジャーの「消された時間」やトライオンの「悪魔の収穫祭」、そしてエリンの「鏡よ、鏡」などが、確かそれぞれ初刊時には結末が袋とじだったなぁと懐かしく思い出されるものの、そんな趣向に特段の意味があったという鮮烈な記憶はない。中には返金保証という、よりセンセーショナルなやつもあった筈なのだけれど、作品の印象に何かを付加するほどのものは、ひとつとして思い出すことができない。
そんなわけで、久しぶりに見かける袋とじ本『シャッター・アイランド』も、いまさら話題づくりでもないであろうデニス・ルヘインの作品を、何故そういう風に売らなければいけないのかという素朴な疑問が先に立っていた。その分、コストだってかかるだろうに。
ボストンの沖に今も浮かぶシャッター島には、精神を病んだ犯罪者のための施設アッシュクリフ病院があった。一九五四年九月、この島である事件が持ち上がる。主人公は回想する。病院から、ひとりの女性患者が姿を消した。彼女は、三人の子どもを溺死させ、この施設に収容されていた。主人公は、連邦保安官で、相棒とともに捜査のためにフェリーでこの島に訪れたのだ。女性患者の残した謎のメッセージに、天外消失としか思えない失踪のシチューエーション。難題に頭をかかえるふたりだったが、実は主人公にはこの島を訪れた別の目的があった。
登場人物の心のひだに分け入るようなルヘインの小説作法は、相変わらず見事だ。一見シンプルな謎が、物語を追うに従って複雑怪奇なものになっていく過程のサスペンスも、ルヘインらしい切れがある。袋とじの必然性については、それぞれ読者が判断してもらいたいが、ミステリとしての衝撃度はなかなかのもので、わたしはどこか変だなと思いながら、結局は騙され、結末を読み終えるとすぐに意味深なイントロダクションにとってかえした。ルヘインという作家の里程標が、この作品でまた書き換えられたと思う。
[本の雑誌2004年2月号]

シャッター・アイランド (ハヤカワ・ミステリ文庫)

シャッター・アイランド (ハヤカワ・ミステリ文庫)

*1:現在の文庫版は通常仕様だが、初刊のハヤカワ・ノヴェルズ版は袋とじで結末部分が封印されていた